史料読解ワークショップ開催レポート①

こちらは史料読解ワークショップ開催レポートの前編です。

後編はこちら。

こちらは史料読解ワークショップ開催レポートの後編です。 前編はこちら。 大学院生対談:史料読解ワークショップに参加して 問題意識と参加のきっかけ 中山恵ワークシ…
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趣旨説明

文責:中山恵(東京女子大学修士1年)

2019年7月8日、「史料読解ワークショップ」を開催いたしました。

歴史学研究において避けては通れない、いや醍醐味でもあるといえる一次史料の読解と史料批判。しかし、歴史学を学ぶ学生にとっては、史料読解や批判に関する学びや訓練の場は必ずしも十分とは言えず、特に専門分野を横断しての、史料へのアプローチ方法の共有や議論の機会はこれまで少なかったのではないでしょうか。そうした問題意識のもと、史料読解について日本史からは藤野裕子先生、ドイツ史からは小野寺拓也先生からお話を伺い、参加者のみなさんと議論することで、専門性を掘り下げるだけでなく領域横断的にも知見を得られる場を作りたいと考え、今回のワークショップを企画しました。

まず、藤野先生と小野寺先生に対談形式でお話しいただき、その後、藤野先生と小野寺先生のワークショップへ移りました。そして実際に史料の読解と解釈にも取り組みました。藤野先生のワークショップではその場で初めて配布された史料を読み、小野寺先生のワークショップでは事前課題として読んできた史料に関する問いの答え合わせと、「問いを立てる」作業にそれぞれグループごとに参加者のみなさんと取り組みました。

今回、大学院生から教育機関ないし在野の研究者、高校の教職員といった、一分野の研究者に限らない幅の広い層の方々にご参加いただきました。その様子を以下に、それぞれ簡潔にではありますがご報告いたします。

基調対談:藤野裕子先生×小野寺拓也先生

史料との出会い

基調対談では、まず今回のワークショップで読む史料との出会いを、それぞれお話いただきました。

小野寺先生が事前課題として提示してくださった史料は、あるベルギー人少女(マリー=テレーズ・D)が、ドイツ軍兵士(クルト・L)に宛てた手紙でした。そのクルトの生涯の書簡群の存在を、先生が通っていたドイツのある資料センターの職員から紹介してもらったそうですが、その量が膨大過ぎるため、すべてを小野寺先生ご自身で捌くのではなく一部を紹介し議論することで、これからの研究へつなげたいという思いもあったそうです。

藤野先生が今回ワークショップのために準備してくださった史料は、矢作事件に関する裁判記録でした。現在その史料は、早稲田大学図書館の刑事裁判記録マイクロフィルムで見ることできます。これらの裁判記録は、もとは東京弁護士会・第二東京弁護士会合同図書館に所蔵されていた警察・検事局・予審・公判の各段階における調書・聴取書などの手書きの写しであり、藤野先生の提案をきっかけにマイクロフィルムとして公開されたものだそうです。

史料論

次に話題は史料論へ。まず、個人の語りから構成されるエゴ・ドキュメントが持つ、言説をどのくらい一般化できるのかという「代表性」の問題について言及されました。

小野寺先生の見解では、エゴ・ドキュメントにおいて重要な点の一つはその「日常性」であり、大きな政治の状況や変動といういわば「大文字の政治」と、それらが「日常」に入り込んできているレベルの「小文字の政治」とが、いかに関わりあっているかを、その「日常性」の内から読み取ることができます。

また、藤野先生の用いられる裁判記録も、実は広義のエゴ・ドキュメント。手紙は何かが起きたタイミング、つまりほとんど「リアルタイム」で書かれるのに対し、裁判での証言が得られるタイミングは「事後的」であるという違いがあることを確認したところで、藤野先生のワークショップが始まりました。

藤野先生のワークショップ

文責:浅井皓平(青山学院大学修士2年)

藤野裕子先生が裁判記録を用いて、史料読解のワークショップを開催されました。取り扱った史料は矢作事件に関するものです。矢作事件とは、1932(昭和7)年5月4日、岩手県気仙郡矢作村(現陸前高田市矢作)の大船渡線鉄道工事第13工区で、日本人土木労務者が、朝鮮人労働者の飯場を襲った事件です。朝鮮人3名が殺害され、また、公式の発表では朝鮮人19名、日本人3名の計22名が重軽傷を負ったとされています。

最初に、藤野先生が今回扱う史料との出会いについて、お話がありました。藤野先生は大学院生のときに、紆余曲折を経て、東京弁護士会・第二東京弁護士会合同図書館で史料と出会い、その後、その一部がマイクロフィルム化され、早稲田大学図書館で公開されることになったそうです。歴史家が史料を発見する道のりの険しさを感じました。

次に、当日取り扱った史料の背景知識を講義していただきました。戦前の裁判は「警察」の次に「検事局」、そして「予審」に引き継がれ、最後に「公判」という4つのステップを踏んで進んでいきます。警察と検事局では聴取書が作成され、予審と公判では調書が作成されます。警察と検事局の聴取書は警察官の意図を反映させやすく、密室性が高いので、拷問の可能性も視野に入れなければならないという特徴があります。また、予審は公判に付すかどうかが決まる重要な位置づけを占めています。

以上の点を踏まえた上で、藤野先生は「事件は『喧嘩』だったのか」、それとも「被告人に殺意はあったのか」という問いを提起されました。それから参加者たちは警察段階・検事段階・予審段階・公判段階の中で各被告人の供述の変化に着目しながら、矢作事件の裁判記録の史料を読み込みました。史料は当日渡されたので、ある班は声に出して全員で読み合わせたり、各自で黙読をしてから、アイデアをまとめたり、各班様々な形式で進めていきました。

そして、各班の意見を他の班にも共有します。被告(主犯格)の供述だけでなく、被害者の供述を踏まえると殺意があるのではないかという意見や、警察の段階では「襲撃」や「殺す」といった表現が登場していたのにも拘わらず、公判の段階になると「喧嘩」や「追い払え」などのように、殺意を薄める表現を使っているのではないかというワードの変化に注目した指摘などがありました。

各班の意見を出し終えた後、矢作事件に関与した人たちに対して、1970年代に実施された聞き取り調査の結果を共有していただきました。裁判記録のみを利用するだけでは事実を確定できず、また裁判記録と聞き取り調査を比較したからといって事実を確定できるとは限らないという歴史学の難しさを体験することができました。

裁判記録だけで「事実」を確定することは困難なこと、聞き取り調査と裁判記録を比較すると「事実」について類似性があったこと、実際の検証では類似性を確認する程度に留まってしまうが、それでも、事実の確定の試みを放棄したくないこと、周囲の人々と議論することが重要であることを藤野先生は最後に強調され、ワークショップが終了しました。藤野先生のワークショップを通して、1つの事件に対して複数の史料を収集し、比較する重要性を改めて確認することができました。

【参考文献】 藤野裕子「裁判記録にみる1932年矢作事件」佐藤健太郎ほか編『公正から問う近代日本史』吉田書店、2019年、329〜394頁

小野寺先生のワークショップ

文責:奥田弦希(東京大学修士1年)

ワークショップの後半では小野寺拓也先生が、第二次世界大戦中のドイツ兵(クルト・L)とナチ・ドイツ占領下のベルギー人の少女(マリー=テレーズ・D)の間でやりとりされたラブレターのうち、マリー=テレーズからクルトに送られた書簡集を史料として用いて、どのようにエゴ・ドキュメントを扱うかということに関して史料読解のワークショップを開催されました。

ワークショップに際して小野寺先生から事前に提示されていた課題は、このラブレター史料を読み込み、高校で自分が世界史(社会科)の教師としてこの史料を題材として使うとして、生徒の理解を促進するために適切な設問を考えてくる、というものでした。ドイツ兵とベルギー人の少女の間でやり取りされたラブレターの話題は多岐にわたっていましたが、生粋のナチ党員であるクルトとのやり取りの中で、ベルギーを占領したドイツ兵が恋人であることにどうにか折り合いをつけようとしているマリー=テレーズの姿が読み取れるものでした。その一連のラブレターの書簡群は小野寺先生が通っていたドイツのある資料センターの職員から紹介してもらったものですが、その量が膨大過ぎるため、すべてを小野寺先生ご自身で扱うのではなく一部を参加者の議論に供することで、これからの研究へつなげたいという思いもあったそうです。 

小野寺先生から今回扱う史料との出会いや史料の時代背景などについての説明があった後には、各班に分かれて確認しておきたい点などを班全体で共有するなど、ラブレターの書簡群の内容を検討したのち、考えてきた事前課題の解答について知恵を出し合いました。

今回のワークショップには、幅広い専門分野の学部・大学院生や研究者のみならず、在野の研究者や現役の高校の先生といった、一分野の研究者に限らない幅の広い層の方々が参加されていて、グループでの議論も大変刺激的なものでした。西洋史を専門とする大学院生である私はこの事前課題に対して、どのように生徒たちにこの書簡集を歴史学の史料として分析させるかという視点でばかり考えていたのですが、「高校生の学力・発達段階を考慮した設問にするにはどうしたらいいか」、また史料から実証できる範囲を超えた「歴史的な想像」をどう扱うか、また歴史教育と研究としての歴史学の境をどう分けるのかといった観点から見ている参加者もいて、幅広い視点を共有できた非常に有意義な議論ができたと思います。

個人の語りから構成されるエゴ・ドキュメントは、歴史学を専門とする人間からすると扱いが極めて難しい史料で、そこで書かれている個人の語りをどのくらい一般化できるのかという「代表性」の問題が常につきまといます。例えば今回のワークショップで扱った書簡群で論文を書くとなると、クルトはどの程度当時の「普通の」ドイツ兵であったといえるのか、あるいはどの程度当時のドイツ人の典型であると言えるのかといった厄介な問いにぶつかってしまいます。しかし、扱いに慎重を要するからと言ってエゴ・ドキュメントから得られる史実を切り捨ててしまうのは決して理想的であるとは言えないでしょうし、ある程度の留保を置いたとしてもエゴ・ドキュメントから見えてくるものも少なくないはずです。

小野寺先生がおっしゃっていた、エゴ・ドキュメントにおける重要な点の一つはその「日常性」であり、例えば書簡群のなかのクルトとマリー=テレーズのやり取りに、ナチ・ドイツと第二次世界大戦をめぐる当時の国際情勢が強く影響を与えていたように、その「日常」に入り込んできている「小文字の政治」と、いかに「大文字の政治」とが関わっているかを読み取ることができるということでした。先生からも参加者からもいくつも興味深い論点が出てきて、盛況のうちにワークショップが終えられました。

まとめのディスカッション

 文責:中山恵

2つのワークショップを終えて、藤野先生と小野寺先生、そしてフロアを交えてまとめのディスカッションを最後に行いました。

初めに藤野先生が言及されたのが、「ワークショップ」そのものの有効性についてでした。史料を読む際に実際に行う「調査」をしないで、今回のワークショップでは史料を読むだけになっていることにも違和感があり、「勉強した感」だけで終わらずに、ワークショップ後にも、ワークショップの意味を考え続けていくことが重要ではないかとお話しされていました。

また、小野寺先生のワークショップは、新学習指導要領に基づいて「歴史総合」が2020年度から始まることもあり、高校で歴史をどう教えるかという問題意識を踏まえて課題を設定したこともあり、議論は、「間口の広い」問いを立てる必要のある歴史教育や社会に向けての歴史の語り方と、研究としての歴史学との境をどう分けるのかという問題へと展開し、さらに史料読解における「調査」と、捏造(creation)ではない「想像力」(historical imagination)の必要性へと至りました。

フロアからの質問・コメントとそれらへの応答

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エゴ・ドキュメントから「どのように」がわかるとはどういうことか?

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例えば小野寺先生のワークショップで扱ったマリー=テレーズ・Dの書いた手紙を読むと、「民族共同体」という理念がどのようにして人びとに受け入れられていったのか、そのプロセスを具体的に理解することができる。それは理念についていくら研究してもそこからはわからないことで、エゴ・ドキュメントの強み。ただし一人ひとりの考えや行動はわかるが、それらは一般化できないので「どれくらい」の人がそうだったかはわからないということでもある。

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史料を読むための教科書となる書籍はあるか?

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東京大学教養学部歴史学部会の『史料学入門』や、ベンヤミン・ツィーマンの共著 Reading Primary Sources などがあるが、史料を読むにはスキルの前に問いが必要である。ただ、『ドイツ・フランス共通歴史教科書』(「近現代史」編と「現代史」編が現在刊行されている)はその点でいろいろ参考になることが書いてあるので、是非目を通してほしい。

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「歴史総合」について、新学習指導要領で導入されるアクティヴ・ラーニングに関しても、表層的な「やった感」だけが残るのではなく、問いと答えにいたるデザインを工夫する必要があるのではないか。

こうしたフロアとの議論も踏まえ、今回のワークショップから何が得られたのかを考え続けていく必要性を全体で共有し、終了となりました。

最後になりましたが、事前課題から当日の長丁場のワークショップにも意欲的に取組んでくださった参加者のみなさん、そしてお話しいただいた先生方、初めてのワークショップの企画に際し、多大なご協力をいただいた運営委員の先生方に、今一度感謝申し上げます。

また、本レポートは、参加者の大学院生2名に声をかけ、執筆協力していただきました。参加当事者の意見として、本ワークショップ企画者である私を含めた3人での対談企画を持ちまして、本レポートを締めくくりたいと思います。

こちらは史料読解ワークショップ開催レポートの後編です。 前編はこちら。 大学院生対談:史料読解ワークショップに参加して 問題意識と参加のきっかけ 中山恵ワークシ…
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