西洋史学会ワークショップ「ポスト・コロナの西洋史研究:リモート、デジタル、コスト」開催報告

西洋史学会ワークショップ「ポスト・コロナの西洋史研究:リモート、デジタル、コスト」開催報告

2024年5月19日、第74回日本西洋史学会大会(2024)において昼休みワークショップポスト・コロナの西洋史研究:リモート、デジタル、コストを開催しました。新型コロナウィルス感染症の流行以降、私たちの研究教育活動は大きな変化を余儀なくされています。多くの西洋史研究者が必要とする海外渡航は、移動制限が解除されたあとも物価高騰と円安により、かつてより困難なものとなっています。一方、学会のオンライン開催や史資料のオンライン公開が進んだといったメリットもありますが、デジタル化された学術情報へのアクセスがすべての研究者に平等に開かれているわけではなく、研究者間の情報格差がかつてより開く状況が懸念されます。このような西洋史研究者が現在直面している問題について、小風尚樹さん(イギリス近現代史・デジタル人文学)原田晶子さん(ドイツ中近世史)から個人的な関心・実践にもとづく話題提供をいただき、続いてフロアから意見を募り、現状の把握と問題意識の共有を行いました。

小風尚樹さんは、2つの「デジタルデバイド」(デジタルをめぐる格差)というテーマのもとに、所属機関の違いによるデジタル情報へのアクセスの格差と、デジタル形式で史料が公開されることで生じる研究テーマの選択の偏り、それぞれへの是正策を提示しました。まずイギリス近現代史でのデジタル学術情報の重要性を指摘した上で、所属機関を介さずに個人としてアクセスする方法として、ロンドンにあるウェルカム・コレクション(Wellcome Collection)の図書館の利用資格を紹介しました。登録には現地に赴く必要があるものの、その後一定期間はリモートで豊富な資源へのアクセスが可能になるとのことです。

続いてオンラインで公開される史料の選択には公開者側の意図が働いており、例えば、国立の公文書館が公開している史料を利用すると、その国が語りたい「大きな歴史」の再生産に陥り、周辺的なテーマが扱われにくくなる懸念があること、そうした傾向が、昨今発表された諸研究から実際に確認できることを指摘しました。このような状況に対して、デジタル技術の助けを借りて、手稿史料とそれをもとに編集された刊行史料との異同を分析した槙野翔さんの研究(槙野翔「Transkribusを用いた17世紀英語文書解読、メタデータ付与、異同分析」『じんもんこん2023論文集』2023年12月)を紹介しました。これを踏まえて、史料の画像ファイルがあれば、人工知能関連技術を活用してテキストデータを入手して、文書館等のデジタル化事業の方針に制約を受けないテーマ選択や史料分析が可能であるという、別の方向性を例示しました。

ドイツへの長期留学・学位取得の経験がある原田晶子さんは、2023年夏に実施したニュルンベルク・エアランゲン(ドイツ)およびウィーン(オーストリア)での史料調査の様子を、2017年以前の状況と対比させながら詳しく紹介しました。文書館での調査では、事前予約が求められるなど利用に制約が増えた一方で、一部の目録がインターネット上で公開されたことで(ただし館内でのみ閲覧可能な目録・データベースも残る)、日本での事前準備が可能になり、現地での調査時間を短縮することができました。大学図書館についても、誰でも作れる有効期限の定めのない入館証やスキャンの無料化といった利便性の向上が図られています。また日本からドイツの図書館にある文献の複写依頼に使っているsubitoというサービスの紹介がありました。大学図書館などを通じての依頼が必要で、利用するには所属大学に相談が必要とのことです。

現地調査には、効率よく史料・文献を確認し収集できるだけでなく、目当てのもの以外の思わぬ「掘り出しもの」に出会い、研究が大きく進展することがあり、また現地に直接出向くことで、メールでのやり取りでは不可能な相談や融通を利かせてくれることもあります。このように現地調査の重要性は減じていないので、なんとか時間と費用を捻出して、短期間でも現地での経験を積むことを目指してほしいというのが結論でした。ただし同時に強調していたのは、現地調査が研究に必須ではなく、刊行史料を用いた優れた研究も十分可能であるということでした。

2人の話題提供のあとで、近現代イギリス史・中近世ドイツ史以外の事例がフロアから紹介されました。そしてコロナ禍の前後で史料へのアクセスが変わらない文書館の例や、史料のデジタルデータを有償で請求することによって、それが文書館のホームページでもオンライン公開されるようになるという例、学会・研究会のオンライン化で思わぬネットワークができた経験など、研究対象とする地域や時代によって異なる状況が共有されました。

また研究テーマの選択について、近年では西洋史を志望する学生・院生が減少していること、それは史料へのアクセス環境だけでなく、各地域や時代、言語に対する関心の低下が影響しているのではないかと指摘し、西洋史研究の将来を危惧する意見も出されました

今回のワークショップは大会2日目の昼休みの時間を使いハイブリッド形式での開催となり、およそ50人の対面形式での参加者に加え、約20人のオンライン参加者を得ました。昼休みという限られた時間でしたので、問題の大きさに比して取り上げられるトピックは選択的にならざるを得ませんでしたが、リラックスした雰囲気のなかで進行することができました。

第74回日本西洋史学会大会を運営され、本ワークショップの開催をお認めいただき、当日の円滑な会場運営のためにご尽力いただいた大会準備委員会・スタッフの皆さまに、心から御礼申し上げます。

今後も各種イベントの開催を続けていきたいと思いますので、アイデアがおありの方は、運営委員まで、あるいは当HPのコンタクトフォームにてご連絡ください。

高橋亮介