概要
研究におけるゴールは、論文の執筆や学会発表というかたちで明示することが挙げられるでしょう。しかし、ここに至るには常に思考を反復しなければならず、わたしたちは試行錯誤を繰り返しています。このなかで、わたしたちはどのようにアイディアを育てているのでしょうか?
本ワークショップでは、西洋史研究者とアウトライン・ライティングの専門家より、執筆の過程について、どのようなことを問題と感じ、どう対処してきてこられたのか、失敗談を交えてお話しいただきました。スピーカーと参加者を交えたオープン・ダイアローグでは、みなさんが普段感じてる研究にまつわる悩みをポストイットに書き、それを模造紙上で分類する作業を行いました。全体のオープン・ダイアローグでは、3名のトークと各グループの模造紙にもとづき、各々の悩みとそれに対するメソッドについて議論しました。
トーク① 隠岐さや香氏(科学技術史・社会思想史/名古屋大学)
隠岐氏は、未完に終わったフランス語の博士論文の執筆過程を失敗談として紹介した。自身はこれまで、シンポジウムや科研の企画など外部からの要求を受けて葛藤しながら書いてきたが、自分が「これは失敗だ」とみなして諦めないかぎり最後に何かしらの結果は出るのだと語った。
トーク② 青谷秀紀氏(中世ネーデルラント史/明治大学)
青谷氏は、研究に取り組む際のメンタル調整法として自身が実践してきた冷水シャワーと瞑想を紹介した。また、アイデアを発見・拡張・分割するための3つの観点①異質なものの組み合わせ、②情報の適量化、➂外部からの案を挙げた。また、学務・家事・育児と研究の折り合いのつけ方、生活一般から研究や教育に資するアイデアを引き出す可能性にも触れた。
トーク➂ Tak.氏(ライター)
Tak.氏は、自身が模索し、普及させているアウトライン・プロセッシングという執筆テクニックを紹介した。アウトライン・プロセッシングとは、「アウトライナー」と呼ばれるソフトを使って文章を書き、考える技術。アウトライナーの3つの機能であるアウトラインの表示・折り畳み・組み換えを、著書を執筆した際の実践例をもとにレクチャーした。アウトライン・プロセッシングについて、詳しくはTak.氏の著書を参照。
オープン・ダイアローグ
トークの合間に行われた一度目のオープン・ダイアローグでは、参加者たちが論文執筆に関して普段から抱いている悩みをひとつずつポストイットに書き込み、それをグループごとに模造紙上で集約・分類しました。グループ間で共通する悩みが多く、リサーチと執筆の時間配分、問題設定の仕方、スケジュール管理、環境づくり、モチベーションの維持、費用確保、自分の論文に関与する他者との距離の取り方、語学といった分類ができあがりました。ここで出た悩みに対して自分なりの解決策をもっている参加者には、コーヒーブレイクのあいだに赤字でそのメソッドを書いたポストイットを貼ってもらいました。
3名のトークの後に行われた二度目のオープン・ダイアローグでは、模造紙上に現れたいくつかの課題に関して全員でディスカッションしました。
インプットとアウトプット
「読書量が少ないのではないかと感じて、文献を読んでばかりでなかなか書き始められない」「所要時間を過小評価してしまう」という多くの人に共通する悩みが話題となったときには、アウトライナーを用いたフリーライティングの方法や、一定量のページを読むのにかかった時間を毎日記録し、自分の読書スピードを把握して計画を改良していく、という方法が紹介されました。
自分が書いたものを、いつ誰に見せるのか
これについては人それぞれでした。他人の意見に影響を受けたくない、という人もいれば、院生同士で見せ合う場がほしいという人もいました。ある参加者は、指導教員に「自分ではまだ見せられないと思う段階で見せるように」という言われているとのことでした。モチベーションの維持、スケジュール管理、論文を完成に向かわせる環境づくりといったことに密接に結びつく問題です。
その他のトピック
- 研究とプライベート
- パワハラ、アカハラ
- 資金不足
- 人生の不安、etc. …
論文の執筆という当初の話題からどんどん派生して、議論は多岐にわたりました。結局、論文を書くという行為は、わたしたちが日々直面する公私の問題を適切な優先順位でケアしつつ、各々にとって心地のよいメンタルと環境を確保したうえに成り立つべきものだということを実感した方が多かったのではないでしょうか。
スピーカーの方々も、「論文ってみなさんどうやって書いてるんでしょうね?」とか「自分の研究手法を確立できてはいない」ともらしていました。「論文執筆の処方箋」は、アップデートされ続けるのでしょう。
アンケート結果
終了後、参加者に対してアンケートを実施しました。以下では回答の一部を紹介します。類似の企画を行うためのヒントになりそうです。
学べたこと
- みんな同じ悩みを持っているのだな、自分だけではない、と思いました。(大学院生)
- アウトライナー、逆算ウィークリー、年表作成などの具体的なメソッド。(大学院生)
- 全体を通じて、色んな話を聞き、不安も薄くなった。卒論がすすまなかったり、教授に連絡しなかったり(笑)したのは、自分の弱さだと思っていたが、みなさん様々な不安があると知り、安心した。また、それぞれの課題解決のために工夫をしていたので、自分も頑張ろうと思った。(学部生)
もっと知りたいと思ったこと
- アイデアの鮮度や見切り時について。(大学院生)
- 書いたものを「いつ見せるか」「どうやって見せるか」。(大学院生)
- 悩み共有などはできたかもしれないが、具体的な解決策についてもう少し踏み込むべきだと思った。(大学院生)
ワークショップの企画としてやってみたいこと・やってほしいこと
- パワハラ・アカハラ対策(一般)
- メンタルを引き上げるのは個人的な面も多いので、方法、手法など、すぐにでも変えられるものを対象にやってみて欲しいです。今日はみなさん自尊心や自己肯定感の低さを感じているように思いましたが、自分にとっての「いつも」を共有することで、結果的にメンタルを引き上げるのも良いのではないでしょうか。(大学院生)
- 海外研究者の失敗談など今回の内容の継続(教員)
- メモの取り方、インプットの効率よいやり方(ポスドク・非常勤講師)
- 構想、書き初めレベルのものを見せ合う。(大学院生)
- 論文執筆の方法について(今回は「研究をする上での悩み」が中心となっていたので)(大学院生)
- 語学の悩みが共通でけっこうあったので、勉強法について。あるいは勉強会をやってほしいです。(大学院生)
- 研究者としての就職について。特に学際領域におけるキャリア形成について(ポスドク・非常勤講師)
まとめ
今回のワークショップは、「論文の執筆」にテーマを絞って企画されたものでした。しかし、参加者から出てきた悩みは論文執筆そのものだけではなく、その周辺にある研究環境やメンタルに関することなど多岐にわたり、しかもどれも多くの人に共通するものばかりでした。このイベントを開催したことで、多くの研究者が共通の悩みを持っており、それらが自分だけの悩みではないと認識することは、研究者にとって大きなメリットであることが明らかになりました。
歴史家ワークショップは、上記のアンケート結果やみなさまのアイデアをもとに、今後も類似のイベントの開催を続けていきたいと考えています。アイデアのある方は、運営委員へご連絡いただくか、当HPのコンタクトフォームでご連絡いただけると幸いです。