日程と内容
2017年10月3日 午後7時より
東京大学本郷キャンパス
仮テーマ “Actions”
2017年10月10日 午後7時より、
東京大学本郷キャンパス
仮テーマ “Characters”
2017年10月17日 午後7時より
東京大学本郷キャンパス
仮テーマ “Cohesion and Coherence”
企画
野原慎司・山本浩司
本ワークショップへの参加には事前登録が必要です。
使用テキスト
Joseph M. Williams, Style: ten lessons in clarity and grace, Longman.
版はいろいろありますが、手に入りやすいもので入手お願いいたします。山本は練習問題の付いている第5版を使っています。
事前に上記箇所をお読みください。(版により多少Lessonの順番が違っているかもしれませんが、上記仮テーマをご参照ください)。
参考書
C. Booth, G. G. Colomb, J. M. Williams, The craft of research (The university of Chicago Press)
版は最新版。(こちらは余裕があれば取り上げます )
初回に持参するもの
指定のテキスト(入手困難な場合は、野原か山本まで事前にご連絡ください)
- 学会発表・論文などの原稿(任意の5ページくらいをコピーして持参)
(ない場合は、学会発表のアブストラクトや、Researchmap等website用の短いresearch statementでもよいので、推敲してみたい文章を持ってきて下さい。) - 自分の分野で影響力のある英語雑誌論文の要旨(コピーを一部持参)
目的:なんのためのワークショップか
Non-native speakerが外国語で論文を書くのは容易なことではない。英文校閲業者にネイティヴチェックを依頼した論文でも、査読者に語学的問題を指摘された経験を持つ人もいるだろう。実際「文法的には間違っていない」文章でも、読みにくい文、内容が伝わらない文、というものがある。それはどのようなものか。Native speakerの研究者に助言を求めても、彼らにとっては当たり前であるがゆえに伝えるのが難しいところでもある。
実例を挙げてみる。
1-1
🙁 The representation of the ‘projector’ who pursued the promotion of allegedly impractical and fraudulent schemes is widely known to have provided a point of reference against which the construction of authority was attempted by Newtonian philosophers such as Johan T. Desaguliers.1-2
😀 It is well known that Newtonian philosophers such as JohanT. Desaguliers defined their authority against the ‘projector’, a promoter of allegedly impractical and fraudulent schemes.
一つ目に近い英文を書いていたら、仮に議論自体が素晴らしく、また語彙力があったとしても、査読論文をアクセプトさせるのは難しいかもしれない。逆に二つ目の文体で良い議論を展開すれば、仮に冠詞や前置詞の使い方などに若干違和感があっても、査読者は内容に集中しやすいので、適正な評価をしてくれる可能性が高いだろう。では、1-2を読みやすく感じるのはなぜか。この違いはネイティブの人でもすぐに説明できない場合がある。1-1の読みにくさの一つの原因は、関係代名詞 (who pursued / against which) が2度使われていることにある。これは比較的単純な問題だ。もう一つの、より複雑な原因は、意味上の key character ‘Newtonian philosophers’ が、文法上の主語になっていないことにある(文法上の主語は抽象概念 the ‘representation of the “projector”’)。このように、抽象的な概念(特に読者にとって新奇な概念)から始まる文章は、頭に入ってきにくい。ここで、文法上の主語に下線を引き、意味上の key character を斜体にしてみる。
1-1
🙁 The representation of the ‘projector’ who pursued the promotion of allegedly impractical and fraudulent schemes is widely known to have provided a point of reference against which the construction of authority was attempted by Newtonian philosophers such as Johan T. Desaguliers.
1-1では、最後まで読まないと key character が誰で、何をしているのか判然としないことがわかる。これが分かりにくさの原因だ。ここで、1-2をみてみよう。
1-2
😀 It is well known that Newtonian philosophers such as JohanT. Desaguliers defined their authority against the ‘projector’, a promoter of allegedly impractical and fraudulent schemes.
1-2の読みやすさの原因は、a) key character が文法上の主語になっていること、b) その主語 = character が冒頭近くに配置されているために、主要なアクターが誰であるか、読み出して数秒で把握できること、c) そのkey characterのactionが、平易な動詞 ‘defined’ で指定されていることの三点に集約される。 また1-1では、d) 文の内容が、想定読者と共有された common knowledge についての命題であるということが判明するのは ‘… is widely known’というフレーズが出てくる文の途中となっている。これが読者に紛らわしい印象を与えている。1-2のように、最初に It is well knownと言ってしまえば、その段階で読者と共通了解が成立する。そのうえで残りを読んでもらうことで、理解しやすい印象を与えることが可能となる。
校閲を業者に頼むにしても、文法的には誤りではない1-1のような悪文をどこまで修正できるかは、未知数だ。この二つの文に潜む違いを誰も教えてくれなかったせいで、僕はずいぶんと苦労した。自分の文章を1-1から1-2へ推敲する技術があるのだ、それはスキルとして習得可能なんだと知っていたら、どれだけ楽だったことか。
私自身、ネイティヴでも帰国子女でもない。けれどもイギリスで修士・博士課程をやり、その後ポスドクを続けていくプロセスで、以上のような校閲の知識をある程度までは身につけることができた。それでも「本当ならもっと早くに知っておきたかった」と思えることはたくさんあった。それらをみなさんと共有すること、特に自分や他人の書いた文章の「読みやすさ」の背景にあるサイコロジーを理解し、読者の気持ちを踏まえた文章校閲の技術を身につけるための一つの「きっかけ」を提供すること、これが本ワークショップの狙いになるだろう。
校正のスキル≠ライティングスキル
校正のスキルは、いわゆる「ライティング・スキル」とは違うことに注意してほしい。白紙のページにいきなり publishable な文章を書き始められるのでないか、それが出来ない自分は「語学力がたりない」のではないか、そうした心配は「まやかし」であり、誤った前提であることを真っ先に強調しておきたい。確かに文法も語彙力も大切だ。けれど誰だって(ネイティブの大教授だって) ひどい early drafts を書いたりするのだ。最初からよい文章を書ける必要は、断じてない。大事なのは、徐々に文章の質をあげるための推敲スキルである。だから、あまり気にせずに(あるいはプライドをかなぐり捨てて)ドラフトを共有して頂けたら嬉しい。