2025年5月18日、第75回日本西洋史学会大会(於:鹿児島大学郡元キャンパス・オンライン配信あり)においてランチタイム・ワークショップ「研究とケア労働の両立:オンライン化は状況を変えるのか」を開催しました。会場では約60名、オンラインでは約15名の方にご参加いただきました。
研究者・教員の活動は、プライベートな領域におけるさまざまな事情から影響を受けざるをえないものです。このイベントでは、ケア労働を、育児や介護にかぎらず、家族への寄り添いや家じまいなども含む広い視点で捉え、オンライン環境が拡大した昨今における「研究とケア労働の両立」に着目しました。たとえ自身はケアの主たる担い手ではなかったり、現在は大きな負担を感じていないとしても、同僚や研究者仲間のなかに「ケア」に携わっている人がいるという状況は誰にでも起こりうることです。「ケアに無縁な人はいない」という前提のもと、それぞれの抱える事情を適切に分かち合い、研究・教育・学務との両立について考え、行動を変えることは学界全体の環境改善につながるはずです。このような問題について、松本涼さん(東海大学・アイスランド中世史)の司会のもと、雪村加世子さん(大阪産業大学・アイルランド近世史)と坂下史さん(東京女子大学・イギリス近世・近代史)のお二方から個人的な経験にもとづく話題提供をいただき、続いて会場・オンラインの参加者を交えて議論しました。
両名のトークはたぶんにプライベートな内容を含むため、ここで改めて詳しく紹介することは避け、共通して挙がっていた要素や重要な点のみ振り返りることにします。
まずひとつは、ケア労働にメインで関わるライフ・ステージにおいては、どうしても研究時間が細切れになるということです。日々の固定されたケアのスケジュールや研究への頭の切り替えの難しさなどによって、集中して大きな研究を行うには不向きな期間であることが指摘されました。ここには、ケアだけでなく、自身の健康状態や常勤教員の学務負担の軽重も関わります。ただ、大きな研究課題に取り組みにくい状況であっても、研究を継続する原動力を生み出してくれる原稿の依頼がありがたいというお話もありました。
次に、オンライン化についてです。オンライン化によって史資料へのアクセスや会議はたしかにある程度効率化されました。しかし、社会のさまざまな場面にオンライン環境が導入されたとはいえ、それによって研究者が日常のなかで行うケア自体の負担が軽減されることはあまりないようでした。また、研究活動がオンライン化したとしても、研究とケアを両立させるのが難しい場面があるという指摘もありました。たとえば学会がオンラインで行われる場合であっても、小さな子どもが家にいる休日や平日夕方以降に、子どもから目を離して会議に集中することは危険であるため、時間と場所を確保するためには周囲や外部のサポートが必要になります。
周囲のサポートについては、ケア労働を担う当事者が手の回らない業務を担ってくれる同僚の存在の大きさが話題となりました。ケアの当事者は、研究・教育・学務などに穴を開けざるをえない状況に対して申し訳なさを感じるとともに、復帰後には必ずその埋め合わせをしたいと考えています。そのような状況の中で、当事者の代わりに業務を引き受けてくれる同僚のサポートは非常に心強く、こうした貢献は職場内で正当に評価されるべきであることが強調されました。さらに、このテーマに関連して、ケアを担う研究者たちの日常を綴ったエッセイ集『研究者、生活を語る:「両立」の舞台裏』(岩波書店、2024年)が雪村さんから紹介されました。本書は、ケアを担う当事者はもちろんのこと、その同僚としてサポートする立場の人々にとっても、適切な関わり方や支え方のヒントを得る一冊となるでしょう。
話題提供後、参加者を交えたディスカッションでは、まずオンライン化の利点について意見が出ました。大学の授業のオンライン化によって、小さな子を育てながらも非常勤講師としての教歴を継続させることができたという声や、会社員のパートナーにテレワークの選択肢ができたことで、自身は海外調査に行くことが可能になった、といった具体的な経験が共有されました。さらに、学会へのオンライン参加の選択肢は今後も残してほしいという意見も複数の方から寄せられました。ケアを担う立場の研究者が、対面参加が難しい状況でも部分的に学会に参加できる機会を確保することは、学会・学界全体がより多様な立場の人々を包摂し、持続的に発展していくために重要であるという点も改めて指摘されました。
次に、同僚どうしの関わり方についても意見が交わされました。ケア労働を担う当事者からは、生活の細かい事情を必ずしも打ち明ける必要はなく、当事者も同僚もお互いがそれぞれ異なる状況を抱えながら働いていることに想像力をもって接することが大切だという声が挙がりました。そうした姿勢があれば、たとえプライベートな事情を詳しく知らなくても、お互いに支え合うことができるという、重要な気づきが共有されました。
最後に、家族の介護を経験した方から、その体験が自分自身の老いについて考えるだけでなく、研究対象である過去の人々の暮らしに思いをめぐらせるきっかけにもなった、というお話がありました。歴史家はたいてい、すでにこの世にいない人々を相手に研究をしますが、史料にあらわれなくとも、どんな人にも生老病死があり、ケアされたり、ケアしたり(あるいはしなかったり)といったさまざまな経験をしながら生きていたはずだということに改めて気づかされたそうです。ディスカッションを通じて、「研究とケア労働」は単に両立の方法を考えるにとどまらず、研究そのもののあり方にも関わってくる、大切なテーマだということが感じられました。
イベント後のアンケートでは、「ふだんは聞けない研究者の生活の実情を知ることができた」、「さまざまな境遇があることを共有できる雰囲気づくりの大切さに気づくことができた」といった感想をいただきました。他方で、「非常勤講師のケースについても、今回のようにリアルに知ることは有用ではないかと思った」、「金銭的に不安が大きく、理解ある「同僚」が望めない状況は、常勤教員の学務の忙しさよりもきつかった」という意見もいただき、今回のイベントでカバーできなかった課題も明らかになりました。
第75回日本西洋史学会大会を運営され、本ワークショップの開催をお認めいただき、当日の円滑な会場運営のためにご尽力いただいた大会準備委員会・スタッフの皆さまに、心から御礼申し上げます。
今後も、いただいたご意見をもとに各種イベントの開催を続けていきたいと思いますので、アイデアがおありの方は、歴史家ワークショップの運営委員まで、あるいは当HPのコンタクトフォームにてご連絡ください。
(纓田宗紀)